「イエスといっしょに連れて来られる」
「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。
あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死
んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人
々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。私たちは主のみことばのとおりに言いますが、
主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決し
てありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から
下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残ってい
る私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。こ
のようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、こ
のことばをもって互いに慰め合いなさい。」
テサロニケ人への手紙第T、4章13〜18節
十字架にはりつけられたイエス・キリストは、死に打ち勝って墓からよみがえり、私たちのよみ
がえりの初穂となられました。この「初穂」という言葉は、「最初の者」という意味をもっていま
す。ですから、聖書のみことばが語るとおりであれば、イエスがよみがえられたということは、私
たちもそれに続いてよみがえると言うことです。
イエス・キリストのよみがえりを記念するイースターは、救いのみわざの完成を告げるものであ
りまた私たちの永遠のいのちの保証です。私たちは、愛する者が地上に於ける生涯を全うして天
に召さた時、その別離のゆえに悲しみを覚えるのですが、しかしイエスがよみがえられたように、
イエスを信じる者たちもやがてよみがえらされるのですから、その別れは一時的な別れであり、永
遠の別離ではないということになります。やがて再会することができると約束されているのです。
この神の約束をもって互いに慰め合い、天の御国でのやがての日の再会を待ち望みたいと思います。
人がどこかに向かう時には、それを見送る人と見送られる人とがいます。それが当分会えないと
いう別れなら、ましてやもう二度と会えないかもしれないとなると、とても悲しいものです。しか
し今は送る側でも、 すぐに同じところに行くことが決まっていたらどうでしょうか。 『後から行く
からね。じゃまたね』くらいで済むのではないでしょうか。
上記のテサロニケ人への手紙第T、 4章13〜18節のみことばには、「眠った人々」、すなわち既に
地上の生涯を終えられた人々のことで「悲しみに沈むことのないため」の勧めの言葉が書かれてい
ます。それは「イエスにあって眠った人々」とともに、私たちもやがて召されて彼らと再会するこ
とができるからです。そして「いつまでも主とともにいることになる」という約束が与えられてい
るからです。ここには、その約束を信じて、互いに慰め合うようにと勧められているのです。愛す
る人の死が、勿論その時には寂しさがありますが、『じゃー、またね』といえるような別れであれ
ば「悲しみに沈むこと」はありません。
どんなに健康な人であっても、肉体の死に打ち勝つことはできません。やがてその肉体は朽ちて
いきます。しかしイエス・キリストの救いを信じる者には、朽ちることのない永遠のいのちが約束
されているゆえに、その人は死に勝利した者とされるのです。イエス・キリストは死に勝利してよ
みがえられましたが、それによって私たちもまたよみがえらされるのです。まずキリストが初穂と
なってよみがえられ、それに続く私たちもまたやがて終わりの日によみがえらされるのと約束され
ています。
「朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければな
らない」と聖書に記されているように、死によって朽ちないものを着、栄光のからだによみがえら
される備えがなされたと言うことですから、それは悲しみを越えたことだと言えます。私たちも共
に『いつまでも住まうことができる』と聖書を通して語られた神の約束の天の御国を信じ、希望を
もって歩ませていただきたいと願います。イエスのよみがえりは、このような永遠への希望を私た
ちに与えているのです。
やがて、イエス・キリストが再び世に来られる日に、それは世の終わりの日ですが、その日には、
既に天に召された人々が、 「イエスといっしょに連れて来られるはず」 だとみことばは語っていま
す。みことばは、その時の様子を実に詳しく教えています。順番があると言うのです。まずイエス
・キリストが天から降って来られる、そして既に召された人々がよみがえらされるのだそうです。
そしてその時にまだ残っている人たちも、よみがえりのからだに変えられて引き上げられて主に会
い、愛する者たちと再会するのです。そしてその後、「私たちは、いつまでも主とともにいること
に」なるのです。
後から行くからねと見送ることができる、その恵みが、イエス・キリストのよみがえりによって
与えられたのです。
春の芽生えや花が咲きみだれる、うきうきする季節にイースターを迎えます。いのちの息吹を感
じるこの季節に、イースターが毎年やってくるということになります。私たちはこの良い季節にイ
ースターを祝い、新しいいのちに生きる希望を確認し、召された方々との再会の希望を新たにして
いただきたいと思います。